箸袋(はしぶくろ)
消しゴムはんこで作った 箸袋(はしぶくろ)
酉年を寿ぐ(4種一組)
高山に咲く花(3種一組)
角力の図(3種一組)
「よかったら、お使いください」
とお世話になった人に渡す箸袋。
今年も作りました。
・ 台紙は、東急ハンズで求めたミューズ紙を
あらかじめ計測・採寸した 大きさにナイフで
カット。
・ 版や印は、消しゴムで彫り、カラースタンプ
で押印。
箸はパッケージプラザ尾張旭店で求めたお
値打ち品。
年賀状を書くよりも、採寸・裁断・折り・のり付け・
乾かしなど手間は少なくないけれど、楽しい作業
でありました。
なぜなら
きっと笑顔で使ってもらえるだろうと思えるから。
それにしても、来年が佳い年であるように…。
何やら危うい空気のだだよう気配の昨今なれば
心底そう願う。
酉年を寿ぐ(4種一組)

高山に咲く花(3種一組)

角力の図(3種一組)

「よかったら、お使いください」
とお世話になった人に渡す箸袋。
今年も作りました。
・ 台紙は、東急ハンズで求めたミューズ紙を
あらかじめ計測・採寸した 大きさにナイフで
カット。
・ 版や印は、消しゴムで彫り、カラースタンプ
で押印。
箸はパッケージプラザ尾張旭店で求めたお
値打ち品。
年賀状を書くよりも、採寸・裁断・折り・のり付け・
乾かしなど手間は少なくないけれど、楽しい作業
でありました。
なぜなら
きっと笑顔で使ってもらえるだろうと思えるから。
それにしても、来年が佳い年であるように…。
何やら危うい空気のだだよう気配の昨今なれば
心底そう願う。
山行の消しゴムはんこ 南八ッ 赤岳 75年
1975年 南八ヶ岳 【稲子湯‐夏沢峠‐硫黄岳‐赤岳‐編笠山(2泊3日)】
「はん」は土産ピンバッジを参考に作成

(45×40㎜)
1975年の7月、職場の8人で南八ヶ岳を縦走する。
山稜を縦走する山行は初めての体験。
小海線を降りて、バスで稲子湯の登山口に着く。
みどり池で小休息して、いよいよ縦走路のスタート。
1日目 稲子湯‐本沢温泉‐夏沢峠‐硫黄岳‐(泊・小屋)
2日目 横岳‐赤岳‐権現岳‐(泊・青年小屋)
3日目 青年小屋‐編笠山‐観音平‐登山口‐タクシーで小淵沢駅へ
稲子湯登山口
クサリ場

主峰赤岳(2899m)
後ろが赤岳
コマクサが多い
青年小屋の親父サンと
1日目の泊まった小屋はどこだったか。
2日目の小屋はよく覚えている。
権現岳と編笠山の鞍部に建つ青年小屋だった。
縦走をほぼ終えた、というほっとした気分だった。
小屋の親父サンが焼酎をぼくたちにふるまってくれた。
松葉のエキスが入った香りのよいお酒だ。
おいしい、おいしいと言って飲みすぎたSさんは
完全にダウンし、翌日は二日酔いのようだった。
3日目の午前、笠を伏せたように姿のいい編笠山を越
えて下山していく8人。
今回もKさん、Nさんにお世話になった。
雨にも遭ったけれど、ほんとうに楽しい縦走だった。
南八ヶ岳縦走が、同じ職場仲間たちとの最後の山行になった。
仲間の幾人かが、次の年の春に新しい勤務地に移っていって
しまったからだ。
しかし、職場の仲間との山行は、ぼくの宝物になった。
山稜の風。
高地で咲く植物。
山をつつむ気配。
登山みちの歩き方。
夏が来たら山へ行こう、ぼくは強く決めたのだった。
「はん」は土産ピンバッジを参考に作成

(45×40㎜)
1975年の7月、職場の8人で南八ヶ岳を縦走する。
山稜を縦走する山行は初めての体験。
小海線を降りて、バスで稲子湯の登山口に着く。
みどり池で小休息して、いよいよ縦走路のスタート。
1日目 稲子湯‐本沢温泉‐夏沢峠‐硫黄岳‐(泊・小屋)
2日目 横岳‐赤岳‐権現岳‐(泊・青年小屋)
3日目 青年小屋‐編笠山‐観音平‐登山口‐タクシーで小淵沢駅へ



主峰赤岳(2899m)



1日目の泊まった小屋はどこだったか。
2日目の小屋はよく覚えている。
権現岳と編笠山の鞍部に建つ青年小屋だった。
縦走をほぼ終えた、というほっとした気分だった。
小屋の親父サンが焼酎をぼくたちにふるまってくれた。
松葉のエキスが入った香りのよいお酒だ。
おいしい、おいしいと言って飲みすぎたSさんは
完全にダウンし、翌日は二日酔いのようだった。
3日目の午前、笠を伏せたように姿のいい編笠山を越
えて下山していく8人。
今回もKさん、Nさんにお世話になった。
雨にも遭ったけれど、ほんとうに楽しい縦走だった。
南八ヶ岳縦走が、同じ職場仲間たちとの最後の山行になった。
仲間の幾人かが、次の年の春に新しい勤務地に移っていって
しまったからだ。
しかし、職場の仲間との山行は、ぼくの宝物になった。
山稜の風。
高地で咲く植物。
山をつつむ気配。
登山みちの歩き方。
夏が来たら山へ行こう、ぼくは強く決めたのだった。
山行の消しゴムはんこ 大台ケ原 73年
1973年 大台ケ原から大杉谷下り(2泊3日)
「はん」は土産ピンバッジを参考に作成
(60×38mm)
1973年の7月、職場の8人で大台ヶ原から大杉谷を下る。
この山歩きに参加したことがぼくの本格的な山行のスタート。
大台ケ原が、深田久弥が選んだ日本百名山の一つである
ことなどには当時のぼくは無関心だった。
大蛇嵓では霧で景色が全然見えなかったこと、
霞んだ枯木立の林が幻想的だったこと、
泊まったランプの宿は暗かったことなどが今でも思い出される。
記憶が強く残っているのは、大杉谷の方だ。
ヒルが木からぼとぼと落ちて手の甲に吸い付き、たちまち体を太くする様。
2泊目の桃の木小屋の傍をどぅどぅと大きな音を立てる川の勢い。
なかなか寝付けなかったほどだった。
蒼く透きとおった深い流れを渡るおもしろいほど数多くのゆれ橋。
そして、岩を食むように落ちる水。大小さまざまの滝。
堂倉滝、七ツ釜滝、ニコニコ滝、千尋滝。
そして、滑らないように下った狭い川沿いの道。
疲れは大きかった。
当時のぼく(右手 吊り橋の途中)
背中にはカーキ色のキスリング。
足にはキャラバンシューズ。
現在の大杉谷は、一部通行できない箇所があるという。
今となっては大台ケ原からの大杉谷下りは、昔日の幸
運なトレッキングだったのだろう。
「はん」は土産ピンバッジを参考に作成

(60×38mm)
1973年の7月、職場の8人で大台ヶ原から大杉谷を下る。
この山歩きに参加したことがぼくの本格的な山行のスタート。
大台ケ原が、深田久弥が選んだ日本百名山の一つである
ことなどには当時のぼくは無関心だった。
大蛇嵓では霧で景色が全然見えなかったこと、
霞んだ枯木立の林が幻想的だったこと、
泊まったランプの宿は暗かったことなどが今でも思い出される。
記憶が強く残っているのは、大杉谷の方だ。
ヒルが木からぼとぼと落ちて手の甲に吸い付き、たちまち体を太くする様。
2泊目の桃の木小屋の傍をどぅどぅと大きな音を立てる川の勢い。
なかなか寝付けなかったほどだった。
蒼く透きとおった深い流れを渡るおもしろいほど数多くのゆれ橋。
そして、岩を食むように落ちる水。大小さまざまの滝。
堂倉滝、七ツ釜滝、ニコニコ滝、千尋滝。
そして、滑らないように下った狭い川沿いの道。
疲れは大きかった。
当時のぼく(右手 吊り橋の途中)

背中にはカーキ色のキスリング。
足にはキャラバンシューズ。
現在の大杉谷は、一部通行できない箇所があるという。
今となっては大台ケ原からの大杉谷下りは、昔日の幸
運なトレッキングだったのだろう。
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